ちょろは、いまひとり。

はなれこじまから  ちょろは とおくはなれ

つきの さばくを ひとりすすんでいる。

ひたすら、よが あけるまで かけている。

ちいさな まきがいを てにして。

この まきがいは ふしぎな まきがい。

アッコナムせんちょうが くれた ふしぎな まきがい。

かいぞくアッコナムは、ちょろに このまきがいを くれた。

このまきがいは、

しまであばれている くるりんねこたちを 

もとにもどすのに

ひつようなものが あるほうこうを おしえてくれる。

まきがいの なかから きこえる なみ のおとが、

ちょろに すすむべきほうこうを おしえてくれる。

みみに まきがいをあてて

あたりをみまわし、そして

いちばん おおきな なみおとがする ほうこうに すすめばいい。

だから ちょろは いっしょうけんめい ちいさな あしで

つきよの さばくを  かけている。

なぜ、ちょろは、よるに はしるのだろう。

くらくて、まえがみえないじゃないかって?

ちょろには、つきのひかりでじゅうぶんさ

めのいい てんてきからも

みをかくしてくれる。

なぜ、ちょろは、よるに すすむのだろう。

ちいさな ちょろには、

とっても ちいさいちょろには、

おおきなあなを どっかりあけた オゾンホールからの

しがいせんは てんてきいじょうに 

こわいものさ

だから こうして ちょろは つきよを すすむ。

ちょろは、ちいさいから

ずっとはしると とっても つかれてしまう

あさひがさして きたら

おやすみのじかん。

ちょろは 、まきがいを 

つっつく。